ラグビーワールドカップで日本のキャプテンを務める姫野和樹選手。
姫野和樹選手がどんな幼少期を過ごしたのか…その生い立ちが気になりますよね。
幼少期は貧しかったという姫野和樹選手。
超貧乏時代の壮絶エピソードについてもお伝えします。
それでは早速いってみましょう。
【幼少期画像】姫野和樹の生い立ちまとめ!
姫野和樹選手の生い立ちをまとめました。
姫野和樹選手の幼少期画像はこちらです。

幼少期の姫野選手、とってもかわいい男の子ですね!
- 1994年7月27日
愛知県名古屋市中村区に生まれる - 幼少期は経済的に苦しい家庭だった
(後ほど詳しくお伝えします。) - 家族構成は日本人の父、フィリピン人の母、姉と妹の5人
- 中学入学時点で身長170センチだったことからグビー部に勧誘されラグビーと出会う
子供のころはとにかく元気いっぱい!
外で遊ぶのが大好きで、やんちゃな子供だったという姫野和樹選手。
小さいときには泣きべそで、いつもお母さんの足にしがみついているような子だったそうです。
姫野和樹選手は、やんちゃだけど甘えん坊の男の子だったんですね!
小さい頃の男の子ってお母さんが大好きですよね!
姫野和樹選手は大人になった今でも甘えん坊だとの情報があります。
姫野選手の好きな女性は、お母さんのような方なのかもしれませんね。
中学時代:ラグビーと出会う

姫野和樹選手は中学時代にラグビーと出会い、人生が変わります。
中学は、全国大会に出場するほどの強豪校である地元の名古屋市立御田中学校に入学。
姫野選手はなんと、中学入学時点で身長が170㎝もあったんだそうです!
もはや大人並みの身長ですね!

170㎝の男の子がランドセルを背負っていたのかと思うと…驚きです!笑
そんな体格に恵まれた姫野選手は、ラグビー部に勧誘されます。
新入生の中でもとっても目立つ存在だったんでしょうね!
そして、ついにラグビー部に入部。
ラグビーをはじめてすぐにその魅力に取りつかれました。
中学生の時からすでに『将来の夢 プロに入ること』を目標にしていたそうです。
きっと、幼少期の家庭環境から「家族を楽させたい」という気持ちがあったのでしょうね。
(幼少期の家庭環境については後ほど詳しくお伝えします。)
中学3年生ではさらに成長し、身長は187㎝に!
とっても恵まれた体型が羨ましいです!
しかし、他のメンバーとの体格差も大きかったようで…
練習中は危険なので”本気禁止令”が出されるほどだったようです。
高校時代:1年から全国大会出場
高校は愛知県のラグビー強豪校、春日丘高校(私立)に通います。
お金がなく貧乏だったという姫野選手ですが、私立の高校に入学しています。
どのような経緯で私立高校を選んだのかについてはわかりませんでしたが、
中学の頃からラグビーの実力は光るものがあったはず。
春日丘高校はラグビーの強豪校で多くの社会人ラグビー選手を輩出していることから、
ラグビーの実力が評価され入学に至ったのかもしれません。
期待通り、姫野和樹選手は1年・2年で全国大会(花園)に出場するほどの選手に成長します。
ポジションはロック。
高校日本代表(ジュニア・ジャパンIRBパシフィックラグビーカップ2013)にフォワードとして選ばれる実力者でした。
大学時代:大学選手権4連覇
大学時代は、ラグビーの名門帝京大学に進学します。
ラグビーでのスポーツ推薦で、帝京大学への入学が決まりました。
そこでなんと、在学中に全日本大学選手権4連覇という偉業を成し遂げるのです。
大学時代には、怒られるといじけて拗ねる…そんな一面を持っていたという姫野選手。
やる気がなくなってしまっていたのだそうです。
今の姫野選手からは、そんな姿想像もできませんね!
姫野選手は褒めて伸びるタイプのようです。
姫野選手自身も、大学時代の自分は「全くダメ」だと感じるそうです。
しかし、試合に出ることができなくても自分のやるべきことをしっかりとこなす先輩の姿を見た姫野選手。
今までの自分を恥じたといいます。
その時、「人として格好よくなろう」と心に誓ったそうです。
大学時代の先輩との出会いが、今のかっこいい姫野選手の原点なのかもしれませんね!
大学卒業後:トヨタ自動車に加入
2017年、姫野和樹選手はトヨタ自動車に加入します。
入社からわずか1か月でキャプテンを打診された姫野選手。
「自分が成長できるチャンス」だと考えて引き受けたといいます。
入社からたった1か月…この決断には相当な重圧もあったのではないでしょうか。
信頼関係も出来上がっていない仲間たちの中でのキャプテン就任は、簡単なものではなかったようです。
姫野選手がキャプテンに就任した当初、他のチームメイトからは相手にされなかったのだそうです。
一緒に頑張りたいと思っている仲間に相手にされないというのは、つらいものですよね。
姫野選手は毎日泣いていたといいます。
そこで、毎日夜遅くまで、「チームをよくするためにはどうするべきか」のアイデアを出しまくっていたそうです。
その後、姫野和樹選手はトヨタ自動車のキャプテンとして活躍。
日本代表にも選出される選手へと成長しました。
2017-18シーズンのトップリーグでは、新人賞 ベストフィフティーンを受賞しています。
姫野和樹の9つの超貧乏エピソード!

姫野和樹選手の「幼少期は超貧乏だった」と自身で公表しています。
姫野和樹選手の貧乏時代の壮絶エピソード9つを紹介します。
エピソード①:ボロボロのアパート
姫野和樹選手が幼少期に住んでいたのは、ボロボロの木造アパート。
地元である名古屋市緑区に1970年代に建てられた古い住宅だったそうです。
そこで、父・母・姉・妹との5人で暮らしていました。

姫野選手の情報からすると、幼少期のアパートはこのような間取りだったようです。
小さな家の中に、5人分の物が溢れかえっている状態。
散らかり放題だったそうです。
収納スペースもそれほどなさそうですし、無理はありませんよね…
ゴキブリなんかもたくさん出る家だったようです。
驚きなのは、姫野選手はこの部屋に高校卒業まで住んでいたということ。
前述したとおり、姫野選手の高校3年生の時の身長は187㎝。
お父さんも姫野選手によく似た大柄な方だったの情報があります。
それを考えると…
かなり手狭な家だと言えますね。
エピソード②:家は寝るだけの場所
姫野選手にとって、「家は寝るだけの場所」だったようです。
僕にとって家は、くつろいだり家族団らんする場所ではなくて、ただ寝に帰るだけの場所だった。
引用:FRAU
姫野選手にとって、家は家族団らんの場所ではなかったんですね。
狭い部屋に家族5人…寝るだけの部屋になってしまうのも無理はないかもしれませんね。
家にも帰りたくなかったという姫野選手。
家にいる時間をなるべく減らすため、夜10時過ぎまで毎日外で遊んでいたそうです。
友達が付き合ってくれる日もあったそうですが、一般的に毎日毎日…とはいきませんよね。
なので、夕方からずっと一人で公演の遊具やアパートの階段に座っていたんだそうです。
姫野選手はどんな思いで一人過ごしていたのか…それを考えると、もう涙が出てきてしまいますね。
エピソード③:貧乏が恥ずかしかった
貧乏だったのが恥ずかしかったという姫野和樹選手。
家に友達を呼んだことは一度もなかったそうです。
上記の間取り図を見ても、友達が遊びに来るスペースはなさそうですね。
小学生の男の子って、家に友達を読んでゲームをしたりお菓子を食べたり…
そんなくだらない時間でも最高に楽しい時間だったりしますよね。
姫野選手はそんな経験を持つことができなかったといいます。
また、自分の家を友達に知られるのが恥ずかしかったようです。
友達と一緒に帰っていても、わざと遠回りをして自分の家がバレないようにしていたんだそうです。
エピソード④:おもちゃやゲームはない
もちろん、おもちゃやゲームは買ってもらえなかったといいます。
友達と遊ぶといえば、公演で野球やサッカーを。
近所の駄菓子屋にあるまってベーゴマやメンコやけん玉をして遊んでいたそうです。
まるで昭和の時代の風景ですね。
周りの友達は、ゲームやおもちゃを持っていたりしたようです。
でも姫野選手はずっとベーゴマとメンコ。
さみしい思いをしたこともあったでしょうね。
それでも、毎日外で体を動かして遊ぶことで体力もついたでしょう。
悔しい思いもしたかもしれませんが、忍耐力もついたのかもしれません。
限られたもので工夫して遊ぶ力は、現代に生きる子供たちにとってとても大切なことだと感じます。
姫野選手は幼少期に知らず知らずのうちに大切な力を身に着けていたのでしょうね。
エピソード⑤:駄菓子屋で稼ぐ
もちろん、姫野選手のお小遣いはありません。
でも友達は駄菓子屋でお菓子やカップ麺などを買うんだそうです。
その姿を見ていた駄菓子屋のおばちゃん。
ベーゴマやけん玉のゲームにチャレンジして、成功したら店内のお菓子と交換できる券をもらえるシステムを作ってくれたそうです。
「お金のない子も楽しめるように」という配慮だったようです。
とっても優しい素敵なおばあちゃんですね。
なので、姫野選手は駄菓子屋のゲームに挑戦して”稼いだ券”でお菓子を買っていたそうですよ。
エピソード⑥:毎月給食費の催促
姫野選手の家庭には、給食費を払う余裕もありませんでした。
毎月必ず先生から給食費を催促されていたそうです。
時には教室の中でクラスメイトの前で給食費を催促されたこともあるそうです。
正直、今の時代には考えられないことですね。
姫野選手は子供ながらに辛かったと話しています。
小学校の多感な時期。
友達に知られたくない家庭の事情を毎月のように公にされる状況…
とてもしんどかっただろうなと思います。
エピソード⑦:父と母はパチンコへ行く
姫野選手の両親の毎月の給料日。
給料日になると必ず父と母はパチンコに出かけるそうです。
子供たちを家において、パチンコに出掛けたきり朝から晩までかえって来なかったんだとか。
そして、あっという間にパチンコでお金を使い果たしてしまう…という生活だったそうです。
姫野選手の両親にとって、唯一の娯楽がパチンコだったのかもしれません。
ストレスの発散方法だったのかも。
でも、それでお金を使い果たしてしまっては元も子もないですよね。
エピソード⑧:両親はいつも喧嘩
両親はいつもお金のことで喧嘩をしていたそうです。
お金がないと、気持ちに余裕を持てなくなってしまうのは事実。
お母さんはフィリピン人で、故郷とは違う環境の中切羽詰まっていたのかもしれませんね。
母親は、ちょっとしたことでヒステリーを起こしていたそうです。
「フィリピンに帰る1」と言って出ていこうとする母親を3兄弟で必死に止めた経験もあるそうです。
お金のこと、家のこと、家族のこと、子育ての事…
両親もすべてのことに余裕がなくいっぱいいっぱいの日々だったのかもしれませんね。
エピソード⑨:いつもお金がなかった
なんといっても、姫野選手の家にはいつもお金がなかったそうです。
父親は近所の鉄工所で働き、母親は子育ての傍らに介護関係の資格を取って働いていたという情報もあります。
しかし、家族5人が暮らしていくにはぎりぎりの経済状況だったんでしょうね。
幼少期は驚くほど貧乏だったという姫野選手は、ラグビーに出会うことができました。
ラグビーはじめたての中学時代にはすでに「プロになる」という目標をもっていた姫野選手。
もしかすると、家族支えるためだったのかもしれません。
そんな姫野選手はラグビーワールドカップ2023の日本代表のキャプテンを務めます。
幼少期の壮絶なエピソードがあったからこその姫野和樹選手の強さなのかもしれませんね。
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