今回は、『原田健輔監督の経歴まとめ!幼稚園バスの運転手だった過去も!?』と題して、
- 原田健輔監督の経歴まとめ
- 原田健輔監督は共栄幼稚園のバスの運転手だった?
といことについてお伝えします!
甲子園初出場を決めた共栄学園。
共栄学園の原田健輔監督に注目が集まっています。
原田健輔監督の経歴が気になりますよね?
なんと、原田健輔監督は野球部を指導しながら幼稚園のバスの運転手をしていたという噂が…
そこで今回は、原田健輔監督の経歴にスポットを当てていきます!
それでは早速いってみましょう。
原田健輔監督の経歴まとめ
原田健輔監督の経歴をまとめました。

- 名前:原田健輔
- 生年月日:1986年
- 年齢:37歳
- 出身地:埼玉県
- 学歴:浦和学院高校、共栄大学
原田健輔監督の経歴
- 大学卒業後は信用金庫に務める
- 金融危機に直面し将来に不安を覚え退職
- 共栄大学の恩師に相談し、共栄学園の事務職員に転職
- 2012年に野球部監督に就任
2004年:自身も甲子園出場?

原田健輔監督は浦和学院高校の出身で、自身も3年春に選抜大会に進出しています。
しかし、高校最後の夏は背番号19番のベンチ外の控え投手でした。
当時の監督は、「努力家で、ずっと真面目にやっていたのでベンチ入りさせた」と、
原田健輔監督の真面目で努力家な面を評価していたようです。
結果、埼玉大会決勝で敗退となりました。
浦和学院高校時代の原田健輔監督の同期には、日ハム・巨人でプレーした須永英輝選手がいます。
原田健輔監督は自身の甲子園出場への目標を達成することはできませんでした。
浦和学院では、「日々の積み重ねの大切さ」を学んだという原田健輔監督。
浦和学院時代に培った野球の技術と熱意で、2023年の共栄学園を甲子園へ導いたのかもしれませんね。
2008年:信用金庫に就職?

原田健輔監督は浦和学院高校から共栄大学に進学。卒業後は信用金庫へ就職しています。
しかし、リーマンショックが世界を襲い、金融危機に直面。
将来に不安を覚えたそうです。
また、心の中に眠る野球に対する情熱が抑えられなくなったと言います。
そして、大学時代の恩師に今後についてを相談し、共栄学園の事務職員に転職することになったのです。
原田健輔監督の心の中には、野球に対する情熱が高校時代からあり続けたのでしょう。
きっと今後の自分の人生を考えた時、『野球』に情熱をささげたいと考え
一大決心をして転職をきめたのではないでしょうか。
2012年:共栄幼稚園のバスの運転手だった?

原田健輔監督は共栄大学の事務職員に転職後、野球部の指導を行いながら共栄幼稚園のバスの運転手を務めていました!
原田健輔監督が幼稚園バスの運転手をしていたとは!
なんだか意外な気もしますよね。
きっと子供たちにとって優しい「運転手のお兄さん」だったのでしょうね!
そして、野球に対する情熱を指導者として燃やすべく、2012年から共栄学園野球部監督に就任します。
原田健輔監督率いる共栄学園とは

- 東京都葛飾区にある中高一貫教育の私立中学校・高等学校
- 1939年(昭和14年)に女子校として開校
- 2001年に中学、2003年に高校が男女共学に
- クラブ活動は女子バレーボール部が強豪校として有名
- 国公立大学・難関私大に多くの合格実績を残す
- 普通科特進コースで偏差値58
女子高だった共栄学園

原田健輔さんが監督を務める共栄学園は、かつて女子高でした。
2003年に共学化したばかりで、野球部は夏の大会未勝利の弱小チームだったようです。
共栄学園は練習環境にも恵まれていませんでした。
葛飾区にある学校から埼玉・三郷の江戸川河川敷グラウンドまで自転車で片道40分かけて行き、
リトルリーグの草野球チームの隣で練習に励む。
そういった環境の中で日々練習に励んでいました。
グランドでバットトボールを使って練習は、平日に週2日間のたった3時間のみでした。
共栄学園に寮はなく、全員が地元の選手たち。
そんな厳しい環境の中で練習に励んでいたなんて、驚きです!
下町育ちの生徒たちに対し「楽しくやる」ことを意識して指導しているという原田健輔監督。
野球でのミスは怒らないよう心掛けているのだそうです。
「自分でも緩いと思うが、なるべく大会で力を発揮させてあげたいので、あまり厳しいことを言わないようにしています」
引用:日刊スポーツ
と、大会で生徒たちが十分に力を発揮できるよう、のびのびとした指導で甲子園に導きました!
原田健輔監督生徒たちを信じる気持ちが、最大級の力を発揮するパワートなったのかもしれませんね。
共栄学園高校の甲子園実績は?
共栄学園高校の甲子園実績は、2023年夏季選手権大会春夏通じて初めての出場となります!
原田健輔監督率いる共栄学園高校の甲子園での活躍が楽しみですね!